『スパルタカス』


 時は紀元前76年、共和制ローマ時代。見世物としての殺し合いをする奴隷「剣闘士」のスパルタカスカーク・ダグラス)は仲間とともに反乱を起こし、ローマの郊外カプア地区の剣闘士訓練所を逃げ出す。彼らはベスビオ山の中腹に拠点を構え、軍隊を組織。近郊の奴隷達を解放し、仲間にすることで次第に勢力を増していった。事を重視したローマ元老院はローマ警備隊の6中隊を派遣するが、返り討ちにあう。さらに勢力を増すスパルタカス軍は7ヶ月でイタリアの1/3を踏破し、長靴の踵にある港、ブリンディジまで進軍する。この地でローマと敵対関係にあるシレシア水軍の海賊船500隻に乗り、ローマを脱出するのが彼らの計画だったのだ。しかし頼りにしていシレシア水軍はローマのクラッサス(ローレンス・オリヴィエ)により買収されていた・・・。

 スパルタカスは実在した人物で、この作品で描かれた第三次奴隷戦争「スパルタクスの反乱」は、ローマ時代最後の大規模な奴隷による反乱。史実を基にした壮大な映画、収録時間198分の超大作だ。DVDの特典映像、封切当時の予告編によると「アカデミー賞4部門受賞作、奴隷解放を描いた叙事詩、『ベン・ハー』級の超大作にウィットとロマンスを織り込んだ」だという。これCGじゃないの?と言いたくなるほどの物凄い人数が投入された戦闘シーンは圧巻。映画館の大スクリーンで一度観てみたい。一方、スパルタカスの妻となる女奴隷バリニアを演じたジーン・シモンズの美しさには目を見張る。1960年公開、スタンリー・キューブリック監督作品。

 この映画の中で印象に残ったセリフがある。スパルタカスがシレシア水軍の代理人に対し、必ずローマに勝つと意気込むシーンだ。「死ねば全て失うが、奴隷と自由人とは違う。自由人は楽しみを失うが、奴隷は苦痛をまぬがれる。奴隷が味わえる自由とは死だから死を恐れん。我々は戦う」。ちょっと出来過ぎな気もするが、失うものが無い者の強さをよくあらわしていると思う。このことと対比すると、守るものが多い人が臆病になり、保守的になってしまうというのも頷ける。奴隷というのは自分の命さえ自分のものではないのだから、究極的に失うものが無いのだ。

 ところで今まで奴隷という身分の人を見たことがない。奴隷制度のない現代日本では当然なのだが、洋の東西を問わず多くの国・地域には奴隷の歴史がある。戦争で負けたため奴隷にさせられたり、借金のカタに売られたりと様々なケースがあろうが、人間が売買される商品であり、購入者によって自由が制限される点で共通だ。人類の長い歴史の中では、奴隷として一生を終えた人間は数限りなくいたはずで、それを見た事がないというのは珍しい部類になるのかもしれない。こんな環境では自由ということについても鈍感になりがちだ。我が身が自分のものであり、自分に自由があることの有り難さをかみしめたい。