麦積山石窟

 旧正月の休みを利用して、甘粛省の天水市に行ってきた。天水市は西安から西へ新幹線で1時間半、秦の始皇帝の出身地で、古くは秦州と呼ばれていたそうだ。今回の旅の目的地、麦積山石窟(麦积山石窟)は市の南東の山間にある。高さ142mの麦積山は、その姿が麦わらを積み上げた様子に似ているためこう呼ばれるそうだ。百度百科によると221の石窟、1万632の塑像、1,300㎡以上の壁画が残っているらしい。掘られ始めたのは4-5世紀頃、1600年以上の昔だ。

 

 この日の天水市の最低気温は-7度。ダウンとカイロ、手袋に耳あての防寒装備だが、やはり寒い。マスクの中で吐息が結露してベチョベチョになるのには閉口した。麓の駐車場から坂道を登っていくと、左手に麦積山が見えてきた。垂直に切り立った赤茶色の山肌に、大きな仏像といくつもの石窟、そして石窟をめぐる通路が壁面に張り巡らされているのが見てとれる。去年の秋に行った龍門石窟(龙门石窟)懸空寺(悬空寺)とを合体させたような景観だ。分かっていたけれど実物を目にするとやはり迫力がある。

 

 門を抜けしばらく歩くと山の壁面に突き当たる。遠くから見た通り垂直の壁だ。階段を上がると壁沿いに通路が作られている。幅は1mちょっと位で人二人がすれ違うのには十分な広さだが、反対側の手すりの向こうは地上まで何も遮るものがない。通路のできるだけ山側を歩くようにして、石窟の中の仏像やレリーフ、壁画を見学する。麦積山石窟の仏像は石を彫った石像ではなく、粘土でできた塑像だ。経年劣化や地震のため、手や指先の破損は見受けられたが、首や胴体は昔のままの姿をとどめているものが多い。仏像や背景、天井画の彩色も数多く残っている。第44石窟の釈迦像は西魏の乙弗皇后がモデルと言われ、華奢な体つきと柔和な顔、そして衣服に残った美しい青緑色が素晴らしく、印象的だった。

 

 麦積山石窟は山奥にあることが幸いして、中国に侵攻した海外列強によって仏像や壁画などを持ち去られることが無かったそうだ。洛陽市の龍門石窟で、主のいない空っぽの石窟や、首のない仏像を見た時の悲しさを思い出した。歴史を作るのも人間、壊すのも人間。悠久の時を経て出会えた偶然に感謝!