敦煌莫高窟


 5月の労働節休暇に、敦煌莫高窟に行ってきた。シルクロードのオアシスとして古くから栄えた敦煌は、中国甘粛省の西端にあり、現在の人口は13万人。井上靖の小説や映画は言うまでもなく、シルクロード関連のドキュメンタリー番組では必ずと言って良いほど紹介されるので、自分も昔から一度行ってみたいと思っていた。念願叶い敦煌を旅するにあたって、井上靖の「敦煌」を読み返したことは言うまでもない。

 

 莫高窟へは市の中心から南東へ25km、車で30分くらいの行程だ。到着後、まずは曲線が美しいアースカラーの建物に入り、映像で莫高窟の歴史を紹介される。部屋を移りドーム型の大きなスクリーンで石窟内部を精細な映像で紹介される。どちらもヘッドホンガイドで日本語解説が聞けるのだが、前半は映像と日本語音声とのズレが大きく、後半はリクライニングシートの座り心地が良過ぎて寝落ちしてしまい、共にあまり記憶に残っていない。前夜は白酒を飲みすぎた、実にもったいない。その後シャトルバスで移動すると、いよいよ世界遺産莫高窟だ。

 

 莫高窟は、何人かのグループで学芸員さんに引率されて見学する。好き勝手にあっちこっちウロウロできない決まりだ。日本人8人のグループを案内してくれたのは王さんという学芸員。日本語が堪能で誠実そう。えんじ色のユニフォームの似合うスレンダーな美人だ。

 

最初に案内されたのは盛唐の時代に掘られた第23窟。扉を開けると、まず小さな前室が有り、その奥に主室がある。以前訪れた龍門石窟(龙门石窟)麦積山石窟(麦积山石窟)には前室が無く、外から仏像を拝めるオープンな様式だったのとは違って、奥ゆきが深い。おそらくこの違いが幸いして、壁画の色彩が残ったのだろう。前室の奥にある正方形の主室の壁と天井には隙間なく壁画が描かれ、正面奥に作られたステージのような空間に5体の仏像が並んでいる。敦煌の仏像は石から彫り出した彫像ではなく、粘土で作った塑像に彩色を施したものだ。この部屋の仏像は清の時代に修復されたものと聞くと有り難みが薄れてしまうが、仏像をとりまく額縁に描かれた草花模様の青みがかった緑色がとても綺麗で印象的だった。

 

 次に案内された17番窟は唐代末期に作られた小さな部屋だった。16番窟の前室から主室へ続く短い通路の右側に掘られており、四畳半ほどの正方形の部屋に1体の塑像が置かれ、その背面に人物像が描かれている。他の壁面や天井に壁画はなく、先の23窟の全面総壁画と比べると、著しく地味でガランとした印象だ。しかし、この第17窟の入り口は以前塗り固められていて、西暦1900年に地元の僧侶により偶然発見された時、この中には4世紀から11世紀頃の経典や仏画、様々な古文書などが5万点も入っていた、有名な敦煌文書だ。これら貴重な資料の多くは当時の列強であるイギリス、フランス、ロシア、そして日本により持ち去られ、世界に散逸してしまったのは悲しい歴史だ。それにしても、一体誰が、何のためここに隠したのかは未だ解らない歴史の謎であり、その謎が井上靖に小説「敦煌」を書かせたわけだ。ガランとした、飾り気のない四畳半を眺めながら、小説家の想像力というのは凄まじいものなのだなと思った。

 

 この後、第328、427、428、237窟を巡り、最後に敦煌莫高窟のシンボルとも言える朱色の屋根9層の楼閣の中にある、第96窟を見学。巨大な足が目の前にあり、上を見上げると、はるか高いところに弥勒菩薩様の鼻の穴が見えた。35.5m、世界No.3の高さなのだそうだ。

 

 石窟内部は照明が一切無い。壁画や仏像を保護するためだろう。前室経由で入ってくる外の光はとても弱く、正面の仏像をぼんやり照らすぐらいで、左右の壁は真っ暗で全く見えない。学芸員の王さんは、懐中電灯で壁画の一部を照らしながら解説してくれ、その一つ一つは素晴らしいのだが、全体像を味わうことはできなかった。木を見て森を見ず、いや葉っぱが見えるけど木さえも見えない状態だ。文化財の保存と観光資源としての活用の両立は、なるほど難しい問題だ。それを補うのが最初に見た精細な映像による紹介なのだろう。返す返す残念だが、やはりそれは撮影された映像だと嘯く。

 

はるか昔、完成後間もない石窟に入った人は、一体どんな気持ちになったのだろう。前室に足を踏み入れると外の喧噪が小さくなり、空気は幾分ひんやりする。目がなれた頃、細い通路に響く自分の足音を聴きながら主室に入ると、正面の仏像が目に飛び込んでくる。鮮やかに彩られた仏像に圧倒されながら、四方の壁を見回し天井を見上げると、隙間無く描かれた極彩色の壁画が松明の明かりに照らされゆらゆらと迫ってくる。天上世界とはこのような所かと、溜息をつきながら手を合わせたのだろうな。羨ましい限りだ。

 

 敦煌では有名な鳴沙山と月牙泉、玉門関、陽関のろし台、雅丹地質公園なども訪れた。砂丘ラクダに乗ったのは楽しい思い出だ。

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