兵馬俑

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 10月の連休初日、念願だった兵馬俑へ行ってきた。秦始皇帝陵博物院1号抗、サッカーのグランドが入りそうな広大な敷地、カマボコ型の屋根の下に、TVや本で何度も観たあの光景が広がっている。手前から向こうへ延びる十数本の溝の中から、薄灰色の動かない兵隊たちがこちらを見ている。およそ2000体の等身大の埴輪、その数の多さとリアルさは、死後の始皇帝を守るために作られた土の人形というよりも、始皇帝の魔力で石にされた兵隊たち・・・という説明の方が似合いそうだ。

 反対側までゆっくりと進むと、まだ修復中の埴輪がいくつもある。当時溝の上には屋根があって、長い年月が経つうちにその屋根が崩れ、埴輪の兵隊達は倒れ破損した。その破片をつなぎ合わせ、元の形にする作業が今なお続けられているのだ。この日は休日だったけれど、一人の作業員のおじさんが、机に向かい修復作業をしていた。どうしたんだろう、作業が遅れていて上司に突っ込まれたのだろうか?休日出勤お疲れ様です。

 この埴輪たち、1体ずつ顔も表情も違うそうだ。遠目には表情までは見えないけれど、ポーズや装備、髪型に違いがあることは分かる。それぞれにモデルがいたのか、職人たちの想像力の賜物なのか、精巧に作り上げられた埴輪たちは、どれ一つ同じものはない。そう言えば、工業化された大量生産の商品が大量に並んでいるのはデパートや工場、TVでもよく見かけるけれど、これだけおびただしい数の一品物って、今までお目にかかった事が無いかも。

 2000年以上の昔、今より死が身近でとてもリアルだった時代。死後の世界のイメージも明確で、皆に共有されていたのだろう。そのイメージに忠実に従うならば、始皇帝陵には兵馬俑が是非とも必要だった。そして当時の秦にはそれを実現する力と財力があった・・・。一方、現代に生きる自分はというと、今の生活とせいぜい老後の心配までで精一杯。死後の暮らしについて心配などしている暇も余裕もない。これは不幸なことなのか、幸せなことなのか?少なくとも、今の仕事の他に休日返上で埴輪作りをしなくても良いのは助かる。

 

 世界遺産兵馬俑に来ることができ、せっかくなので、6年ぶりの更新。仕事の都合で上海に来て丁度1年経ちました。