龍門石窟

 10月の連休、河南省の洛陽(洛阳)に行ってきた。洛陽は「九朝の古都」と呼ばれ、古くから多くの王朝がここに都を置いた歴史ある町だ。

 

 雨降る中、市の中心から車で30分程、龍門石窟(龙门石窟)に到着した。南北に流れる伊河沿い、ほぼ垂直に切り立った石灰岩の山肌に、長方形や正方形、上がアーチ状になった縦長かまぼこ型などをした穴が隙間なく並び、その長さは1キロに渡る。石窟の奥行きは数十センチから数m程で、奥に仏像が彫ってある。また、左右の壁や天井にも仏像やさまざまなレリーフが彫ってある。一番小さな仏様はわずか2cmで、壁面の高い所にあるため、肉眼では点にしか見えない。まぁよくぞこれだけ彫ったものだと、その労力と彫り続けた意思に敬服する。

 

 石窟のほぼ中央に巨大な大仏群がある。センターの廬舎那仏は、寄進者である唐代の女帝、則天武后の顔を模したと伝えられているが、確かに女性的な面持ちだ。廬舎那仏の高さは約17m、東大寺の大仏様より少し大きい。石段を上がり、そばに寄って見上げると圧巻で、その迫力に圧倒される。

 

 龍門石窟北魏の都が大同から洛阳に移された5世紀末から作られ始めた。当時、仏像を作ること=功徳を積むこと、とみなされたため、時の王や権力者、財を成した人たちはこぞってお金を出し、ここに仏を彫らせたそうだ。これを聞くまで自分は、僧侶が修行の一環として、一人孤独に一刀一刀お経を唱えながら彫ったと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。ひょっとしたら、場所と石工とをコーディネートして”分譲”する業者がいて「今でしたら、この区画がお安く提供できますョ」などと商売していたのかも・・などと想像する。

 

 中国では古来、道教儒教、仏教がメジャーな宗教として信仰を集めてきたが、歴史の中でトップが国教を変更するのに伴い、以前の宗教施設を破壊することがあったという。そのため、ここ龍門石窟でも多くの仏像の顔が潰されている。また、幸い破壊を免れた、状態の良い仏像は、清朝の時代に海外列強によって持ち出され、今でも世界各地の博物館に展示されているそうだ。中に仏さまのいない空っぽの石窟がとても多く、悲しい気持ちになった。

 

 先に訪れた大同市の観光地が新型コロナの影響で軒並み封鎖されたため、予定を変更。洛陽では、中国で最初に仏教が伝わった白馬寺、映画で有名になった少林寺三国志のヒーロー関羽のお墓など、沢山の見どころを巡ることができた。

龙门石窟x3,白马寺的白马,少林寺,关林,关羽像