天門山

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 2021年10月、国慶節の連休は湖南省の張家界へ2泊3日の旅。上海から国内線で2時間半、国家5A級の景観区『天門山』に行ってきた。

 

 山の上の方に自然にできた大きな穴を、昔の人は天国への門と呼んだそうだ。ロープウエイで登ったのだけれど、これがなかなかのモノ。一般的にロープウエイに乗るのは山のふもとからと相場が決まっているけれど、ここのは違う。ふもとから随分遠い、街のど真ん中にあるビルの3階に乗り場がある。8人乗りのゴンドラは道路や鉄道、ビルや民家の上を突っ切って山頂を目指す。その距離7.5㎞、所要時間40分(!)。建物の屋根や行きかう人や車がだんだん小さくなって、ひとかたまりの街にしか見えなくなる頃、目の前に天門山が迫ってくる。最後は39度の急勾配。まるで垂直上昇するような感覚が新鮮だ。

 山頂には断崖絶壁につくられた桟道が待っていた。TVで見た事あるな、などと思いながら進む。幸い高所恐怖症ではないので何てことは無い。天気が良くて遠くまで見渡せ気分は上々、海抜1500mを吹き抜ける秋風が心地良い。しかし、ふと振り返ると、垂直に切り立った崖に今歩いてきた道が頼りなさげにへばりついているのが見える。「あんな所を歩いてきたんかい・・・」と、地震が起きないことを祈る。途中、木陰が気持ちの良い広場で一休み。お約束のガラス張りの道もあった。みんな5元払って靴カバーを着用。ガラス保護しないと、下が見えなくなるからね。

 下りに用意されているのは山の中をくり抜いて作られたエスカレーター。見たことないくらい長いエスカレーターを7台乗り継ぐ。岩山をくり抜いたのだから当然外の景色は一切見えない。延々と斜めにトンネル掘るって、あまりポピュラーな技術じゃないと思うけど、大変だったんだろうな、などと感心しながら天国の門の脇まで20分、さすがにエスカレーター飽きた。

 天国の門は横巾28m高さ131m、奥行きは60mある。その底に立って上を見上げると、はるか上方に天井があり、両側は垂直に切り立つ岩の壁、こんな景色見たことがない。眼下はるか遠方に張家界の街。時おり岩間から染み出た水滴が風にのって落ちてきて心地よい。

 次に待っていたのが下の広場まで999段の階段。石造りの階段は勾配がとても急で、おまけにステップの幅が狭くて靴のつま先が常にはみ出す。歩きにくいことこの上なし。途中で気づいたのだけれど、踊り場が無いから転んだら下まで一直線だ。自然と手すりを持つ手に力が入る。下まで15分、もう当分階段は遠慮したい。下界に戻るにはさらにロープウエイとマイクロバスを乗り継いで、最初の乗り場に帰還。疲れた~。

 

 ここ張家界は交通の便が良くないため、観光地としての歴史は長くないそうだ。それ故、類まれな観光資源最大限活かそうと、知恵と技術とお金を使って長いロープウエイやエスカレーター、断崖絶壁の桟道を整備したのだろうな。おかげで楽しめました。

 

 今回の旅では1992年世界遺産登録、映画アバターの世界の『武陵源』にも行った。こちらも素晴らしい絶景だったけれど、面白かったのは『天門山』の方だな。恐らくここ30年で一番ってくらい、ふくらはぎがパンパンになった。上海に戻って今日で3日目だけれど、押すとまだ少し痛い(笑)。今回の旅の一番のお土産だ。

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一年ぶりの更新、上海暮らしも3年目に突入しようとしています。

兵馬俑

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 10月の連休初日、念願だった兵馬俑へ行ってきた。秦始皇帝陵博物院1号抗、サッカーのグランドが入りそうな広大な敷地、カマボコ型の屋根の下に、TVや本で何度も観たあの光景が広がっている。手前から向こうへ延びる十数本の溝の中から、薄灰色の動かない兵隊たちがこちらを見ている。およそ2000体の等身大の埴輪、その数の多さとリアルさは、死後の始皇帝を守るために作られた土の人形というよりも、始皇帝の魔力で石にされた兵隊たち・・・という説明の方が似合いそうだ。

 反対側までゆっくりと進むと、まだ修復中の埴輪がいくつもある。当時溝の上には屋根があって、長い年月が経つうちにその屋根が崩れ、埴輪の兵隊達は倒れ破損した。その破片をつなぎ合わせ、元の形にする作業が今なお続けられているのだ。この日は休日だったけれど、一人の作業員のおじさんが、机に向かい修復作業をしていた。どうしたんだろう、作業が遅れていて上司に突っ込まれたのだろうか?休日出勤お疲れ様です。

 この埴輪たち、1体ずつ顔も表情も違うそうだ。遠目には表情までは見えないけれど、ポーズや装備、髪型に違いがあることは分かる。それぞれにモデルがいたのか、職人たちの想像力の賜物なのか、精巧に作り上げられた埴輪たちは、どれ一つ同じものはない。そう言えば、工業化された大量生産の商品が大量に並んでいるのはデパートや工場、TVでもよく見かけるけれど、これだけおびただしい数の一品物って、今までお目にかかった事が無いかも。

 2000年以上の昔、今より死が身近でとてもリアルだった時代。死後の世界のイメージも明確で、皆に共有されていたのだろう。そのイメージに忠実に従うならば、始皇帝陵には兵馬俑が是非とも必要だった。そして当時の秦にはそれを実現する力と財力があった・・・。一方、現代に生きる自分はというと、今の生活とせいぜい老後の心配までで精一杯。死後の暮らしについて心配などしている暇も余裕もない。これは不幸なことなのか、幸せなことなのか?少なくとも、今の仕事の他に休日返上で埴輪作りをしなくても良いのは助かる。

 

 世界遺産兵馬俑に来ることができ、せっかくなので、6年ぶりの更新。仕事の都合で上海に来て丁度1年経ちました。

畠山美由紀&ショーロクラブLIVE


 名古屋市の北に隣接する春日井市。ここ春日井にショーロクラブがやってきた。ショーロクラブ笹子重治(ギター)秋岡欧(バンドリン)沢田穣治(コントラバス)の3人によるユニットで、ブラジルの音楽「ショーロ」がその原点。2000年の夏、たまたまCDショップで手に取ったのが彼らの音楽との出会い。爽やかでポップで、少しセンチメンタルな彼らのサウンドに魅せられ、以来ずっと聴き続けてきたのだけれどライブは初めて。1週間前からワクワク、こんなことは久しぶりだ。会場の文化フォーラム春日井・視聴覚ホールは席数198の小さなホール。開場時間を少し過ぎて到着したら席は半分以上が埋まっていた。この日は全自由席、席を探してウロウロきょろきょろ・・・見つけたのは中央少し右寄りの最前列!!ちょうど一人分だけ空いていた、ラッキーだ。

 ショーロクラブの3人は静かに登場すると、おもむろに調弦を始める。ギターとバンドリンとコントラバス、合わせて弦は18本かぁ、たいへんだなぁ…などと考えていたら最初の曲が始まった。6/8拍子に漂う二連符が気持ち良い『Martelo Malfeito』で、あっという間に彼らの世界に引き込まれた。秋岡氏のバンドリンの子気味良さ、沢田氏のコントラバスの力強さ、そして笹子氏のギターの安定感。18本の弦の響きがホールの隅々まで満ちていき、その中に身を置きゆだねる至福の時…。冒頭7曲をショーロクラブの3人が演奏してくれた後、ヴォーカルの畠山美由紀氏がステージに登場。ワンピースの朱色にステージが華やぐ。一音一音を大切に歌う落ち着いたアルトはショーロクラブのアコースティックサウンドにしっくりなじむ。あぁ、この組み合わせはイイなと思った。

 畠山氏の持ち歌にスタンダード曲、ショーロクラブのメンバーによる作品などを交えて続くステージ、後半にはシャンソンの『それぞれのテーブル』という曲を披露。畠山氏がYouTubeちあきなおみが歌うこの歌を聴いて惚れ込んだのだそうだ。なるほど、良い曲だ。途中MCで畠山氏が語ってくれたのだが、ショーロクラブの3人は魂が溶けるような良い音を奏でながら、それとは裏腹に実につまらなそうな顔して演奏するという。思わず笑ってしまったが、本当にそうなのだ。明るいメロディも泣けるフレーズも超絶技巧もキメの一音も、殆ど表情が変わらない。体の動きも少なく、視覚に訴えるものが殆ど無い。3人とも静かに燃えるタイプなのだろう(笑)。

 畠山氏が出身地の宮城県気仙沼を思い作ったという『わが美しき故郷よ』でこの日のステージは終了。鳴り止まぬ拍手にアンコールは『Over the rainbow』。ブラジルテイストの効いた、オシャレでポップで、大人の雰囲気の漂う『虹の彼方に』だった。終演後、入り口ホールでサイン会。ショーロクラブのCDは殆ど持っているのだが、唯一買いそびれていた『武満徹ソングブック』があったので丁度良いと購入。行列に並び4人にサインをしてもらった(嬉)。素敵な音の余韻とサイン入りCD、それから近所の洋菓子屋さん「パティスリーメリメロ」から来場者全員へのお土産、チョコレートブラウニーを手に家路についた。

南国土佐はサムカッタ


 この前の金曜日、出張で高知県へ行ってきた。四国にはほぼ毎月足を運んでいるが、高知県には行ったことがなかった。前日夕方まで大阪で仕事した後電車で移動し、高知で前泊するというスケジュール。大阪で訪問した会社の社長さんが教えてくれた。「今から高知行かはるの?四国雪降ってますョ」「・・・・!」。観光ではないので、寒かろうが暑かろうが関係ないのだが、「南国土佐」のイメージが作り上げた暖かくて快適な出張の妄想はみごとに崩れ去った。

 大阪からのぞみ号と特急南風号を乗り継ぎおよそ3時間半の旅。ロング缶4本を胃袋に流し込み、高知駅に到着したのは午後10時前。初めて訪れたJR高知駅は新しくてとても立派。ホームを覆うカマボコ型の天井が何ともイイ雰囲気を醸し出していた。しかし外にでると予想を上回る寒さ。雪こそ降っていなかったが泣きそうになる。Beerの酔いは一気に吹き飛び、朝貼ったカイロがまだ暖いのが何だか健気でウレシかった。

 チェックインの後、居酒屋に転がり込み、焼酎のお湯割りで凍えた体を解凍する。お約束のカツオのたたきが生憎売り切れだったため、「土佐風じゃこ天」なるものをお願いする。こんがりキツネ色に揚がった高知のじゃこ天は、丸型でふっくらと分厚い。おろし醤油を添えていただくと、魚の香りがふんわりして歯ごたえも味もやさしい。愛媛のじゃこ天が薄くて高密度で、ワシワシした歯ごたえが魅力なのとは随分違う。同じ四国でも伊予の国と土佐の国とではやっぱりいろいろ違うのだと一人納得した。TVではソチ五輪、女子モーグルの予選。もっともっと違いのある国々の代表を相手に戦う乙女たち。頑張れニッポン!

 翌日の午後、帰りのバスを待つ間、小雨降る高知駅前をぶらぶら。JR高知駅は駅舎も立派だが駅前もとても綺麗に整備されている。駅前広場には高知の三志士こと坂本竜馬中岡慎太郎武市半平太の大きな立像がある。高さ8mの立派な像だ。しかしこの日立っていたのは2人だけ。中央に位置する坂本竜馬像が横浜、神戸のイベントに貸出中らしい。竜馬像の場所、「竜馬ただいま脱藩中」の看板にニヤリとする。こういう洒落っ気ってイイと思う。いつか観光でゆっくり来てみたいなぁ…などと思いながら、南国土佐を後にした。

大須演芸場


 名古屋中区の大須観音駅。観音様のすぐ近くに小さな寄席がある。「なごやおわらいよせ 大須演芸場」。大須は大好きな街でよく訪れるのだが、そのついでにチョイと寄っては一時楽しませてもらっている。落語、漫才、マジックに曲芸…いろいろな出し物が演じられる。そんな大須演芸場が今月末で閉鎖されるというニュースを知ったのはつい先日。賃料の滞納で、強制執行となるそうだ。これまで何度も閉鎖の危機があったのだが、何とか乗り越え存続してきたのだが、いよいよらしい。それもそうだと思う、いつ行っても客席はガラガラ。自分を含めてお客は3-4人というのが普通だったからだ。

 そんなことで1月最後の日曜日、久しぶりに大須演芸場に行ってみた。この日は「名古屋おもてなし武将隊」の貸切公演があり、一般の公演は午後3時から。すぐ近くにある餃子の名店「百老亭」で腹ごしらえをして大須演芸場に向かうと、何と驚いたことに行列ができている。こんな事は初めてだ。

 何とか席を確保し、ドキドキワクワク開演を待つ。いつもは1日3公演入れ替え無しなので、開演中にぶらりと入り、同じ演者が出てくると「あ、一周したんだ」と帰るパターンなので、ここで「開演を待つ」というのは実は初めてなのだと気付いた。開演間近、ふと振り返ると客席は2階席まで満席で、立ち見のお客さんも大勢。2階席が有ったのだと今さらながら気づいた。

 この日は快楽亭ブラ雲(ブラウン)の落語に始まり、かつら竜鶴の三味線漫談、ひと:みちゃん(艶歌)、チャレンジャー(漫才)、室井駿之介(講談)、天魔(マジック)などなど多彩な演目が全部で12組。満席の客席を大いに沸かせてくれた。一番気に入ったのは、名古屋在住の落語家、雷門福三による創作落語。名古屋に昔からあるデパート4M(松坂屋三越名鉄丸栄)が、高島屋名古屋駅進出に右往左往する噺。デパートを擬人化して語るのだけれど、それぞれのキャラクターが我々一般人の抱くお店のイメージにピッタリ。地元の人をニヤリとさせるネタが随所にちりばめられているのも心憎い。とても楽しかったので、機会があったらまた聞きたいと思った。最後に登場した快楽亭ブラックの「初天神」で幕が下りたのが6時半。3時間半楽しませてもらって\1,500は超お値打ち。閉館前のスペシャルプログラムなのだろう。

 この日もらったプログラムに「中京唯一演芸処 お笑いはまかせてチョ!」と書いてあった。名古屋に残った最後の寄席の灯が消えると思うと、やはり残念な気持ちになる。大須演芸場に足を運んだのは10回に満たないと思うが、もっと通っておけばヨカッタ・・・などと思いながら帰路についた。

お圭ちゃん「焼きラーメン」


 出張で九州に来ている。夜10時前に福岡天神のホテルにチェックイン。夕食は済ませていたけれど、まだ寝るには早いので、ホテルを出て一人でぶらぶらと…。名物の屋台で軽く一杯!という魂胆だ。

 広い通りのあちこちに屋台の明かりが見える。そばを通ると屋台から漏れてくる光と香りが魅惑的に誘ってくる。冬の寒さの中だけれど、どの屋台にもお客さんの影が一杯だ。「ラーメン」「おでん」「焼き鳥」・・・どの屋台にしようか、迷ってしまう。しばらく歩いていると、一軒の屋台から店の人が出て来た。「入れます?」「どうぞ!」案内され入ったのは「お圭ちゃん」という屋台、先客は2人。まずは瓶ビールを頼み喉を潤す、結構寒いのだけれどこればかりは仕方が無い(笑)。

 アテにはおでんを3点オーダー。大根、たまご、そして店主のお勧めで餃子巻。初めて知った餃子巻なるモノは、ごぼ天の餃子版とでも言おうか、餃子がそのまま包まれている。初めて食べる餃子巻おでん、味は見た目のイメージ通り。美味しくて何だか楽しい。焼酎のお湯割りを追加して、ふとメニューを見ると「味噌おでん」と書いてある。今いただいたのがそうなのか?味噌かかってなかったゾと思いつつ目の前のおでん鍋を見ると、白く濁った汁に浸かっている。おぉ、そうか。名古屋っ子にとって「味噌おでん」と言えば八丁味噌のタレがトロリとかかったおでんなので「???」とおもったが、ご主人に文句を言わなくてヨカッタ。

 焼酎をちびちびいただきながらメニューとにらめっこ。締めに選んだのは「焼きラーメン」。その存在は聞いていたのだが、食べるのはこれが初めて。ご主人は鉄板の上に豚バラ肉、イカ、もやし、それからラーメン用とは別に用意しているという特性の麺を乗せていく。秘伝のタレとゴマ油をたらすとこんがり良い香りが屋台の中に充満する。ニラを加えてさらに炒め、ゴマを散らして出来上がり。お皿に盛られた焼きラーメンに食欲がムラムラとわき上がる。

 細めの麺は歯ごたえがあってイイ感じ。濃いめの味付けはお酒のアテにもなりそうだ。ご主人に聞いてみると、ダシは鶏ガラスープを使っているそうな。ナルホド濃い味付けにも拘わらずくどくなく、ペロッといただく事ができた。

 鉄板で焼いて作るので「焼きそば」と呼んでもおかしくないのだが、この味は「焼きラーメン」の方がシックリ来るような気がする。味付けの秘訣、秘伝のタレについて尋ねると、ご主人はニヤっと笑うだけで教えてくれない。企業秘密なのだろう、また福岡に来たときにはぜひ立ち寄りたいと思った。


外観はこんな感じ

「日記・手帳」


 1998年の夏、雑誌の記事に目が釘付けになった。ワイシャツのポケットに入るサイズながら、予定表、住所録、To Doリスト、メモ帳といった機能を持ち、新たなソフトをインストールすることもできる。感圧式のタッチパネルをもち、Wiodowsパソコンと同期させることもできる。一目見て虜になり、数日後には名古屋大須のパソコン専門店で購入していた。アメリカの3comというメーカーのPDA(電子手帳)でその名もPalm3。以来15年以上、紙の手帳は一切使わず、何台ものマシンを乗り換えながら、ずっとこのPalmシリーズを使い続けている。写真は左から98年のPalm3、現在使っているSONY製のClie TJ25、そしてスマートフォン(SO-05D)。比べて見ると、画期的に小さいと思ったPalm3もずいぶんデカイ(笑)。

 予定表として使い続けてきた結果、15年分の記録がいつもポケットに入っている状態となった。取引先を久しぶりに訪問する際など、チョイと検索すれば「前回お会いしたのは2001年の7月でしたね」などと自信を持って言える。住所録にはお会いした方々についてのあれこれが書き込んであるので「息子さん、今年から中学校じゃないですか?」などと話のタネにもなる。以前『Palmのこと』という記事にも書いたが、非常に心強い外部記憶装置なのだ。

 Palmの予定表には、それぞれの予定にメモを書き込むことができるので、その時あった事や感じた事を書き込むようにしている。後から見返せば日記のようなものだ。仕事上の面談の記録や、買い物の記録、嬉しかった事や頭にきたこと、映画やコンサートやレストランの感想なども沢山書き込んである。しかし何ものにも代えがたいのは家族の記録。子供たちが小さかった頃、家族旅行や学校のイベント、あるいは何気ない日常の中で綴ったメモは、今読み返すとしみじみと懐かしい(涙)。

 実はこの正月に、メインのコンピュータを新調した。データの同期ができるか心配で、最悪これを機にタブレット端末+グーグルカレンダーに乗り換えようかとも思っていたのだが、幸い何の問題もなくクリア。これでまた当分お世話になることができる。