『ファルスタッフ』


 3連休最終日、名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマへ向かった。お目当てはMETライブ・ビューイング、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で演じられたオペラを撮影し、世界中のスクリーンに配信するというスクリーンで観るオペラ。一昨年の『エンチャンテッド・アイランド魔法の島』、昨年の『ジュリアス・シーザー』に続く3度目のMET、今日の演目はヴェルディ作曲の『ファルスタッフ』。歌劇の王ことヴェルディ最晩年80歳の作品。それまで幾つもの悲劇で名声を得たヴェルディが、最後に作ったのがこの喜劇なのだそうだ。

 騎士階級でありながら、酒好きで女好きの太っちょのファルスタッフは、あろうことか同時に二人の婦人にラブレターを送る。その事を知った婦人達は、ファルスタッフを懲らしめようと策を練る。そこに嫉妬深い亭主や恋人との仲を父親に反対される娘、その娘を狙う医者が絡むからややこしいのだが、果たしてファルスタッフは手痛いしっぺ返しに合う・・・・。この舞台ではバスのアンプロージョ・マエストリファルスタッフそのものの巨体で熱演してくれた。このオペラ、原作はシェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』ファルスタッフは頭の回転が速くて機知に富み、調子が良くておしゃべり。どんなにひどい目にあっても決して深刻にならなず、最後は「人生はみな冗談」「人はみな道化」と笑い飛ばす。とんでもない奴なのだけれど憎めないキャラクターだ。

 戯曲を読んだ時には気付かなかったけれど、今回、オペラの映像で動くファルスタッフを見て「こりゃそっくりだ!!」と思ったのは、クレージーキャッツ「無責任」シリーズで植木等の演じる平均(たいらひとし)。基本C調で、肩の力が抜けている。人生を謳歌するために頭を使い、コツコツやるヤツぁご苦労さん!という平均とファルスタッフ。体型以外、生き方が瓜二つだと気が付いた。どちらかというと正反対の、肩のこる生き方をしている自分としては心底うらやましく思える二人だ(笑)。

月夜のフェリー


 この前の木曜日、出張で佐賀県に行った。早朝の飛行機で福岡空港まで飛び、あとはJRでの移動。この日JR九州は運行管理システムの障害で、朝から大幅にダイヤが乱れていた。博多駅はもちろん、乗り換えの鳥栖駅でも多くの乗客が待ちぼうけ。午前11時、屋外のホームには冷房も無く、少し動くと汗が噴き出る。日光を遮る屋根と、時折吹き抜ける心地よい風が本当にありがたかった。幸いアポイントは午後からだったので問題無かったが、あんなに混雑した鳥栖駅は初めて見た。

 夕方、まだダイヤの乱れているJRで佐賀駅から小倉まで移動。すっかり夜になった小倉の駅前に広がる「魚町銀天街」は日本で最初のアーケード付商店街なのだそうだ。夏祭りの太鼓が響いてとても賑やかだ。移動中に調べた焼きうどんの「だるま堂」を目指すが残念ながら閉まっていたので、ぷらっと入ったお店で腹ごしらえをして、向かったのは駅の反対側にある港。今回の出張では翌日が四国松山なので、移動の方法として夜行のフェリーを選んだのだ。

 薄暗いフェリー乗り場に停泊している「はやとも2号」。これが今夜の宿だ。スロープを登って乗船。船内の階段を上っていくと船の中央部にあるパブリックスペースに出た。ここには案内所や土産物売り場、自販機コーナーやゲームコーナーなどがあり、結構にぎわっている。居酒屋スペースもあって、出港前から盛り上がっているオッチャン多数。イイ感じだ。まずは寝床を確認しようと客室へ。事前に予約を入れておいたのは、1等客室。1等と言っても5等級ある内の真ん中クラス。6人相部屋で、客室内には二段ベッドが3つと洗面台、TVがある。浴衣に手ぬぐい、歯ブラシも用意されているので、相部屋であることを除けば、ちょっとしたビジネスホテルのようだ。これで運賃込み9,300円はお値打ちと言えよう。21時55分、はやとも2号はゆっくりと出港、そしてふと気が付いた。あれ、自分一人??…どうやら6人分のスペースを一人で使わせていただけるらしい。たまたまお客が少なかったのか、いつもこうなのかは謎だが、気兼ねなく過ごさせてもらえるのは嬉しい。この船にはお風呂もついていた。家庭用の2倍程の大きさの湯船に洗い場が2つ。汗を流して広い湯船につかると、わずかに船の揺れが感じられ、不思議な感覚だった。

 部屋に戻って窓のカーテンを開けると、ちょうど真正面の空に月が白く輝いていた。月明かりに照らされた小倉の町がゆったりと右側へ流れていくのを眺めながら缶ビールの一時。瀬戸内の海路は穏やかで静かだった。はやとも2号は予定通り翌朝5時に松山観光港に到着。初めての夜行フェリーはとても快適、機会があればまた乗ってみたい。今回は一人でゆったりできたけれど、相部屋の人と一杯やるってのもイイかもね。


客室はこんな様子

山東省できしめんに乾杯!?


 久しぶりに中国へ行ってきた。2011年の11月以来、1年半ぶり6度目の中国だ。事前に「上海暑いですョ〜、毎日37度くらいいきますョ〜」と脅されていたので、覚悟はしていたのだが、確かに蒸し暑い。蒸し暑いだけなら地元名古屋も負けてはいないので全く気にならないが、人や車がひしめき合い、工事現場やクラクションの音が飛び交うこの雰囲気は上海ならではだ。埃っぽくてやかましくて独特の匂いが漂ってくると「う〜ん、中国に来たのだなぁ…」と実感する。

 今回、上海から山東省へ国内線で移動した。上海市の西側にある虹橋空港から、ビールで有名な青島へと飛んだのだ。初めて乗る中国の国内線、これが意外と混んでいて驚いた。機内には中央の通路をはさんで左右に3席ずつ座席が並ぶのだが、これがほぼ満席の状態。聞けば7月から中国の学校は全面的に夏休みで、青島へは海水浴目当ての観光客が大挙して押しかけるのだそうだ。確かに機内には子供連れが非常に多く賑やかだ(1時間20分のフライトの間、ずーっと泣き続けた女の子もいた)。この日利用した山東航空の運賃は往復で1,700元。家族4人なら6,800元。上海市最低賃金が月額1,620元との事なので、休暇の旅行に飛行機を利用できるのはやはりお金持ちに限られるのだろうが、上海から青島へは日に20便飛んでいる。やはり中国はすごい勢いで豊かになってきている、ということだろう。

 その夜の食事の席、実は山東省は「乾杯」のメッカらしい。白酒(パイチュウ)という蒸留酒を小ぶりのグラスでクイッとあおって一気に飲み干し、空になったグラスを相手に見せて確認し合う。これが宴席の間に幾度も繰り返されるのだ。会話が途切れた時など、誰かとふと目が合うと、グラスを手にニコッと微笑んでくる。「乾杯しようぜ」の合図だ。「受けて立とうぜ青島の夜!」と頑張っていたら、後半になって急に利いてきた…白酒。久しぶりにしこたま酔っぱらってしまった。で、写真はそんな頃に出てきた締めの麺。妙に馴染みのある平たい麺、何という麺なのかは知らないが、名古屋人の自分にはどう見てもきしめんにしか見えない。おぉ、きしめんがこんな所まで進出したか?・・・・いやいや、麺の歴史からすればこちらの方が先輩格だろう。いずれにせよ、平たい麺にはどうしてもシンパシーを感じてしまう(笑)。食べてみると、きしめんのようなツルッとした滑らかさは無いけれど、程よくコシがあって上海あたりのブツブツの麺とは随分違う。あっさりとした出汁も美味しく、すでに満腹状態だったにも関わらず、美味しくいただくことができた。

 今回の出張は2泊3日。いつもの事ながら慌しく、その土地やそこに住む人々について、理解するなんてのは不可能に近い。だからこそ「山東省できしめんそっくりの麺を食べてきたゾ」なんていう小さな経験も大切にしたいと思うわけだ。よし、今日のお昼はきしめんにしよう。醤油味で、上にたっぷりの花かつおとカマボコが乗ったヤツね。

熊本だご汁


25年ぶりに熊本に行ってきた。火曜日の午後、大阪の取引先でかなりハードなミーティングを済ませた後、伊丹からのフライト。小雨降る阿蘇くまもと空港は町の中心から少し離れ、周りを森や農地に囲まれた立地。雨に濡れた緑が色濃く、火の国熊本のイメージどおりの男性的な自然を感じさせる。町中までのリムジンバスはおよそ1時間。熊本の町は思っていたより大きく、高台にある熊本城の勇姿を町のあちこちから見上げることができる。加藤清正による名城、時間があれば登ってみたかったけれど、今回は遠くから眺めただけで少し残念。

合流した部下と、取引先の方を交え、ホテル近くの居酒屋「瀬戸」で会食。ご当地名物の馬刺、辛子れんこん、ぐるぐるなどに舌鼓を打つ。気の良い大将は以前名古屋市に住んでいたということで話に花が咲き、球摩焼酎のきりりとした味わいに心地よく酔う。

翌日は町外れにある大きな会場での展示会。部下と二人で終日立ちっぱなしで商品のPR。普段から出張や外出は多いのだが、日がな立ちっぱなしという事はめったに無いため結構こたえる。16時の終了時刻が近づくと、時計見ながら「あと20分」「あと10分・・・」と、まるで部活の練習が終わるのを心待ちする中学生のような心境だった(笑)。

写真は熊本の郷土料理「だご汁」。帰り便を待つ間、空港のレストランでいただいた。薄口のすまし汁に小麦粉のだんごが入っている。だんご汁が詰まってだご汁になったのだろう。鶏肉や沢山の根菜も入って素朴な味わいが美味しく、汁まで全部飲み干した。

昔、祖父母の家に遊びに行くと、必ずリクエストして作ってもらったのがだんご汁。熊本のだご汁とは違い地元名古屋の赤味噌汁がベース。小麦粉のだんごの外に具はなく、きわめてシンプルで素朴な味わい。赤味噌の辛さが小麦粉の甘さを引き立て、団子のもちっとした歯応えが大好きだった。お昼前、台所に立つ祖母の後ろで出来上がりを待ちながら、大勢集まった従兄弟達と「だんご汁食べよ!だんご汁食べよ!」と連呼した事を覚えている。最大8人の孫たちの胃袋を満たすため、てっとり早く作れるだんご汁は最適メニューだったのだろう。結果自分の中で「お婆ちゃんの味」と言えばこのだんご汁だ。料理上手でもてなし好きだった祖母にとっては不本意な事だろう(笑)。そんな昔を思いつつ、帰路についた。

『ジュリアス・シーザー』

 この前の日曜日、名古屋駅近くのミッドランドスクエアシネマへと向かった。今にも泣き出しそうな曇り空とは裏腹に、足取りは軽く(!)心はワクワク。この日のお目当てはG.F.ヘンデルのオペラ『ジュリアス・シーザー(エジプトのジューリオ・チェーザレ)』。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の舞台を撮影し、世界の映画館で上映するという、METライブ・ビューイングというシリーズ。オペラのチケットは何万円もするので、かなり絶望的に敷居が高い。自宅でDVDでのオペラ鑑賞という手もあるのだが、立派なオーディオルームでも無い限り、お茶の間的日常的空間の中ではオペラの祝祭的な雰囲気は半減する。キッチンで妻が洗い物など始めようなら最悪だ。その点、映画館の大スクリーンは適度に非日常的であり、移動の時間のワクワクも含めて結構楽しめる。

 上映時間は4時間43分。10時に始まり途中2回の休憩をはさんで、3時前に終わるという長丁場だ。幸い腰もお尻も健康な自分にとっては全く問題ナシ。おまけに最近の映画館のゆったりしたシートは快適そのもので、ひょっとしたら、メトロポリタン歌劇場よりも快適かもしれない。このシリーズでは以前大阪で『エンチャンテッド・アイランド魔法の島』 という作品を観たことがあるので、心の準備も万全だ。

 政敵のポンペイウスを追って軍を進め、エジプト入りしたシーザーとクレオパトラの愛の物語。バロック音楽の大家、G.F.ヘンデル1724年の作品だ。メトロポリタン歌劇場での上演では、史実では紀元前の物語を19世紀帝国時代に置き換え、シーザーは大英帝国の軍人という設定になっているのも一興だ。紀元前の昔話を18世紀のヘンデルがオペラにした作品を、当のヘンデルにとっては未来である19世紀の設定にした演出で、21世紀の自分が観ているという・・・。この複雑な状況も何とも趣き深い(笑)。

 シーザーを演じたのはカウンターテナーのデイヴィッド・ダニエルズ。大英帝国軍人の堂々たる姿と、カウンターテナーのハイトーン・ボイスに当初は違和感を感じたが、すぐに慣れてしまった。彼の人懐っこい顔つきは、人間シーザーに親近感を感じさせる。クレオパトラはソプラノのナタリー・デセイ。23年のキャリアがあるそうなので、かなりのベテランなはずだが、とても魅力的。物語の序盤で、共同統治者のエジプト王である弟のトロメーオ(クリストフ・デュモー)をからかうシーン、二人の侍女を従えダンスを披露しながらの歌唱は最高にコケティッシュ。有名な『麗しき瞳よ』もしっとりと聴かせてくれて大満足。劇場と違ってアップで写されるシーンはさすがにチョット気の毒な気もしたけれど(笑)。誰もが知っている有名な史実を題材に、ドラマチックかつコミカルな展開に時の経つのを忘れた。一つ一つのアリアが秀逸で聴きごたえがあるのもさすがヘンデルの人気作だ。

 この日の鑑賞は勤め先恒例の春の行事。日頃殺伐としたビジネスの世界に身を置く社員達に、少しでも文化的教養をと願う経営者の涙ぐましい思いで、毎年企画されている。「4時間超は長すぎる」「お尻が痛い」「クレオパトラ役は結構オバサンだ」等々の酷評もあったが、自分にとってはど真ん中のバロックオペラ。この春一番の大満足、堪能いたしました。

春の法隆寺


 奈良、斑鳩法隆寺に行ってきた。聖徳太子推古天皇が607年に建てたお寺で、世界遺産にも認定されている。春の昼下がりは寒からず暑からず、空は青く風は爽やか。前日に耳鼻科で花粉症の薬をもらってきて本当にヨカッタ。

 駐車場から参道を進み、南大門から境内へ。ここを訪れるのは学生時代の一人旅以来なのだが、前回の記憶はかなり曖昧だ。こんな風だったかなぁ?などと考えながらゆっくりと歩く。国宝の中門、エンタシスの柱と金剛力士像が力強い。廻廊脇の入口でチケットを購入し廻廊の中へ入ると、目の前に日本最古と言われる五重塔、その右手には金堂が立っていた。金堂内部に安置された有名な釈迦三尊像と再会。意外と小さいのだが、ズッシリとした質感が伝わってくる。前に来たときにも同じように感じた事を思い出した。同じく金堂内部に描かれた壁画の観音様を拝む。教科書で見た事のある、穏やかな微笑みが薄暗い中に浮かび上がる。建立当時は極彩色の鮮やかさで、堂内を彩っていたのだろう。レプリカであるのが残念だ。

 大宝蔵院では有名な玉虫厨子を観る。こちらは頭の中のイメージよりずっと大きい。居合わせた老齢の紳士も「こんなに大きかったかのう?」とつぶやいていたから、そう思うのは自分だけではないようだ。宝蔵院中央には百済観音像。2mを越す長身の観音様はほっそりスマートだ。奈良時代に作られたという東大門からまっすぐ続く道を東へ進み、同じく奈良時代聖徳太子を偲んで建てられたという夢殿へ。廻廊とお堂に四方を囲まれた空間中央に佇む正八角形。静謐で穏やかな中にも、侵しがたい存在感が感じられた。


 参拝する観光客は多すぎず、少なすぎず丁度良い賑わい。修学旅行と思しき高校生の一団を見送った後は、自分のペースで参拝をすることができた。痛めた左足をかばいながら、およそ2時間。ゆっくりと巡ったがやはり少々負担がキツかったかなと反省する。実はこの日奈良へ来たのはお葬式があったため。せっかくだからと立ち寄った古刹にて、亡き人と飛鳥の昔を想った春の午後だった。

二足歩行


 骨折した左腓骨をピンとワイヤーで固定する手術を受けてから10日、無事退院して久しぶりに自宅に帰ってきたのが1週間前の日曜日。術後の経過は順調で、左足に体重をかけることと、ぬらすこと以外はOK。早速、翌月曜から出勤することにした。通勤には電車を使うのだが、早い時間ならば確実に座れるので、松葉杖での電車通勤を敢行したのだが、これが結構キツかった。

 自宅から勤務先まで、普段は1時間少々で通っていた。駅まで歩き、その後電車を2本乗り継ぐのだが、同じコースを松葉杖での通勤となると状況は変わってくる。初日の月曜、自宅から最寄り駅まで通常7分かかるところ、倍の14分と見ていたのだが、これが全く甘かった。道半ばにして腕と胸の筋肉が悲鳴を上げ、手のひらと脇がこすれてヒリヒリしてきた。息切れして、何度も立ったまま休憩しなければならず、実際に要したのは約4倍の30分。ドアツードアの全工程では普段の倍の2時間だった。左足の代わりとして不慣れな両腕が頑張ったわけだが、足というのは何と力強く頼もしいものかと、我が体の一部ながらその有りがたさを痛感した。

 事務所においても、やはり不自由だった。松葉杖があれば、移動はできるのだけれど、両手がふさがっているので何かを持って動くことができない。プリントアウトした書類1枚取るのに人の手を借りないといけないのはやはり辛い。ランチはお弁当を買ってきてもらい、来客の際は、応接室まで誰かにノートと資料を持ってきてもらわねばならなかった。まぁ、それでも実際に皆の顔を見ながら仕事ができるのは嬉しいものだ。勤め先の皆に感謝したい。そして、駅のバリアフリー化の重要性も身を持って体験した。いつも利用する乗り換え駅の各ホームにエレベータが設置されたのは2年ほど前。本当にありがたかった。

 そんな一週間を何とか乗り切って、昨日は通院し診察を受けた。結果は良好。抜糸をしてもらい、松葉杖無しで歩くことも許可してもらえた。診察室を出るとき、恐る恐るの最初の一歩。そーっと左足に体重をかけてみる。・・・痛みはなかったが、やはり上手く歩けなかった。病院から借りていた松葉杖を返却し、久々の二足歩行を始めた。左足の筋力は落ちているし、足首は固まって可動範囲が狭い。徐々に慣らして勘を取り戻そう。何てことはない、今まで普通にやってこれた事。すぐに思い出せるはずだ。