『不揃いの木を組む』

 宮大工という職業がある。神社やお寺を専門とする大工のことを普通の大工と区別して宮大工というのだ。著者の小川三夫は宮大工。鵤(いかるが)公舎という、宮大工の徒弟集団の舎主でもある。この本には著者が弟子達を育ててきた中で培った教育論が書かれている。

 「寺社は建てられても本は書けません。また言葉で自分たちのことを上手にあらわす手段も持っていません。何度もお断りしました・・・」前書きで著者はこう語る。友人の塩野米松氏が聞き書きすることでこの本が世に出ることになったのだが、「俺ンところは宮大工の集団や。形式的には株式会社鵤公舎やが、俺はここで宮大工になりたいという弟子を育てようと思ってやってきた・・・・」最初の文章から正直面食らった。全くの語り口調が活字になると、ナカナカ読みにくいものだ。そして塩野米松氏は語られた話をあまり編集せず、忠実に文字にしたようだ。話があっちに行ったりこっちに行ったりする。リピートが多い。お世辞にも良い文章とは言えないが、語られている内容は深い。


 職人集団というのは「ある一定レベル」の作業ができることを何よりも求めるのかと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。「不揃いでなくちゃあかんのや」「腕も、考えも同じくらいというのが集まってもろくなことはない」本書のタイトルにも通じる部分、ものすごく同感してしまった。一人ひとりを育て、同時に集団として最大限機能させようとするとこういうことになるのかも知れない。このことを著者は「不揃いが総持ちで支え合う」と表現する。業界の違い、職種の違い、立場の違い、いろいろあるけれど、根本的なところっていうのは共通するものだ。

 読み進むにつれ、本当に宮大工の棟梁が目の前で語っているような気になってくる。耳が痛い、恥ずかしい。体裁を整えられていない、むき出しの言葉からその人の思いや生き方が伝わってくる、そんな本だ。

不揃いの木を組む
作者: 小川 三夫, 塩野 米松
メーカー/出版社: 草思社
ジャンル: 和書