ドーヴァー海峡の向こう側


 日曜の昼下がり、服部駅阪急電車を降りて歩くことしばし。表通りの喧騒を離れた住宅街の中に佇む可愛らしいホール、ノワ・アコルデ音楽アートサロンへと足を運んだ。お目当ては「ドーヴァー海峡の向こう側」という、一風変わった名前のユニットのコンサートだ。

 守安功アイリッシュ・フルート、リコーダー)と守安雅子(アイリッシュ・ハープ、コンサーティーナ)。一年の三分の一をアイルランドで過ごす、日本におけるアイルランド音楽演奏の第一人者である守安夫妻と、チェンバロ奏者で、イタリアバロックを中心に精力的に演奏活動を続けている平井み帆氏とが、3年前に結成したユニットが「ドーヴァー海峡の向こう側」だ。これまで幾度も聴かせていただいた、コテコテにアイリッシュな守安夫妻と、バリバリのバロックな平井氏とが、一体どんな音楽を聴かせてくれるのだろう?興味深々だ。

 55名収容の客席は満席、ステージはすぐ目の前だ。最初の曲はイングランドの伝統音楽ホーンパイプ、そして17世紀アイルランド、盲目の作曲家ターロック・オキャロランの作品へと続く。聴きなれたアイリッシュチェンバロが入ることで、これまでにない世界が広がって、正直戸惑った。実はこの日のプログラム、アイルランドイングランドの曲もあるのだが、フランスのコレットやイタリアのマルチェッロ、そしてドイツのテレマンまで名を連ねる。守安夫妻=アイリッシュと思っていたので、開演前にプログラムに目を通したときは「なんじゃこりゃ」と思った。プログラムの3つ目は、フランス・ブルターニュ地方の伝統音楽とアイルランドの伝統音楽のセット。続けて聴くとわかった。ケルト人の多いブルターニュの音楽と、海を隔てたアイルランドの音楽との不思議な共通点、同じノリだ。なるほど、そういうことか。

 今から300年ほど昔のバロック時代、国によって音楽が随分と違っていた。イタリアは先進国で、ドイツは後進国。フランス音楽は独自の路線をとっていて、それぞれに異なる様式があった。それぞれの様式を踏まえて演奏するのが必須でもある。とは言っても楽譜は出版されえいたし、音楽家の交流や移動はあって、影響を与え合っていた。ドーヴァー海峡をはさんだイギリスと大陸の間もしかり。その後大陸側の音楽はバロックからクラシックへと脈々と流れていったのに対し、イギリス、特にアイルランドの音楽は当時のままの伝統音楽として現代に残った。現代から見ると、まったくの別々の音楽になっているのだが、時代を遡るとこの二つの流れは交錯する。その接点を浮き彫りにするのがこのユニット、「ドーヴァー海峡の向こう側」なのだろう。

 曲間のおしゃべりも楽しく、後半で演奏されたThe Sally Gardensではサプライズも飛び出した。守安功氏のフルートで演奏されていたメロディーに途中から歌が入ってきた。誰かと思えば受付にいたお嬢さん。小柄で大人しそうなルックスからは想像もできない、深く澄んだアルトに開場は固唾をのんだ。どうやら彼女の実力を知っていた守安氏に、半ば無理やり歌わさせられたようだ。この曲はアンコールでもう一度演奏され、再び彼女の出番となった。客席のあちこちからも歌声が聴こえ、自分もメロディーを口ずさんでいた。歌詞を知らないのでハミングなのが少し残念だった!