『大阪船場おかみの才覚 〜ごりょんさんの日記を読む〜』


 今のように住まいと職場とが別々であるのが普通になる以前の話。商家には店主家族の他に、住み込みで働く従業員たちが寝食をともにしていた。明治、大正の時代では当たり前、昭和に入っても残っていた習慣だ。そんな商家の夫人を東京では「おかみさん」と言い、大阪では「ごりょん(寮)さん」と呼んでいた。この本は明治16年に生まれ、17歳で大阪船場の商家に嫁いだ杉村久子の残した日記を中心に、当時の商家の姿、ごりょんさんの日常を紹介している。

 夫とともに店を切盛りし、丁稚や女中たちに指示命令をするごりょんさんは、当時の少女たちのあこがれの的でもあったという。若い頃は家業の手伝いや奉公人に与える着物をこしらえる裁縫がその仕事の中心だが、歳をとるにつれ、来客の接待をするようになり、やがては夫とともに経営に携わるようになる。夫の没後、トップとして商家の経営を引き受けることも少なくなかったようだ。この本で取り上げられている杉村久子の場合は店と住まいとが別であったが、店員の着物のための反物を調達し、女中の採用を受け持ち、節分には女中とともに50本もの巻き寿司を作っている。住み込み店員吾助の結婚に際しては、婚礼衣装の紋付羽織、袴を用意し、結婚後の住まいの心配までしているのだ。社員は家族同様であり、ごりょんさんとは母親同然だった時代がこの本からリアルに伝わってきた。

 丁稚奉公、徒弟制度、プライバシーのかけらもない住み込み店員。遠い昔の事のように思っていたが、昭和に入ってもそれは普通に存在していた商家のスタイルだったようだ。そういえば自分の勤め先は戦後にできた会社だが、以前は事務所の上に社長宅があり、住み込みの社員が何人もいた。自分が入社した時にはさすがにそういう制度はなくなっていたが、住み込みを経験した先輩社員が何人もいた。新入社員だった頃は、当時のエピソードを聞かされるたびに前時代的な古臭さを感じたものだが、商家の原点がそこには残っていたのだろうと今更ながらに思う。そして同時にそういう経験をできなかった事を少し残念に思ったりもする。

大阪船場 おかみの才覚 (平凡社新書)
作者: 荒木康代
メーカー/出版社: 平凡社
発売日: 2011/12/16
ジャンル: 和書