『日本辺境論』


 日本や日本人について書かれた書物はとても多く、この本の中には新しい情報は一つも書かれていないと著者の内田樹は断りを入れている。丸山眞男梅棹忠夫山本七平らを下敷きにしながら「辺境」という地政学的な補助線を引くことで、理解を深めようとしたのが本書の特徴。

 外来の新しい文化にすぐに飛びつくのも、すぐに他国と比較して「だから日本はダメなんだ」と言うのも、主義主張よりも場の親密性や「空気」を優先させてしまうのも、すべて日本人が「辺境人」だから。世界標準に準拠することは得意でも、新しい世界標準を作り上げることがなかなかできないのも「辺境人」の特徴だという。キーワードとなる「辺境」とは「中華」の対概念。卑弥呼の時代、聖徳太子の時代、遣隋使、遣唐使。日本はつねに大陸のより進んだ文明から情報を得、技術を学んできた。文明開化の明治時代は欧州が、第二次大戦後はアメリカが辺境ニッポンにとっての中華となったのだろう。いつの間にか日本人は「本当の文化は、どこかほかのところで創られるもので、自分のところのは、何となく劣っている意識」に取り付かれた。この意識が辺境人を特徴づけるのだ。

 はるか昔、命がけで中国から帰った遣隋使や遣唐使の面々はヒーローだったにちがいない。「隋の国では日本と違い・・・」「唐の都はこことは違って・・・」彼らの言葉は人々をどんなに魅了したことだろう。現代でも「欧米ではA、日本はまだB。従って日本もAにすべき」という論法に出会うことがあるし、「大手企業では・・・」「外資系企業では・・・」などと持ち出すヒトもいる。「だから何?」と思うのだが、あれは辺境人ならではの説得方法。自分の発信するメッセージの正しさや有用さを「外部」や「上位審級」で保証しようとしていたのだ。そんなの無しで「オレはこれが正しいと思う」とは言えないし、周りも外部や上位のお墨付きを大層ありがたがる。これが辺境人なのだろう。

 内田樹は辺境人であることを認め、「とことん辺境でいこう!」と呼びかけるが、どうも納得いかない。本書の中で、辺境人の特徴として書かれていることは、自分自身が普段忌み嫌っていることばかり。中でも上記の「主義主張よりも場の親密性や「空気」を優先すること」というのは最悪だ。撲滅すべき日本人の悪しき習性だと思っている。意見が違うのに議論を尽くすことなく、何となく落ち着くところへ落ち着かせてしまう。無責任の極みだと思う(空気を読んで、空気に流されて日本は勝つ見込みのない戦争に突入した!!)。しかしどうやらその根はかなり深い。自分自身、卑弥呼の時代から脈々と続いた、辺境人の一員であることは確かなようだから困ったものだ。面白かったけれど悩ましい一冊。

日本辺境論 (新潮新書)
作者: 内田樹
メーカー/出版社: 新潮社
発売日: 2009/11
ジャンル: 和書