『欲しがらない若者たち』


『欲しがらない若者たち』山岡拓
 若者の自動車離れが指摘されて久しい。クルマはかつてのように若者の憧れの的にはなり得ないのだ。クルマだけではない。ブランド衣類も高級時計も欲しくない。お酒も飲まなければ海外旅行もしない。本書は日経産業地域研究所の研究報告書「20代若者の消費異変(08年1月)」をはじめとした各種調査やアンケートの結果がベースとなっている。データに現れる20代若者像は、淡白、草食系、巣ごもり、男子の女性化、女子の男性化等々、マスコミで言われていることと大差はない。本書ではそれらデータからあぶり出された20代若者の姿をまずありのままとらえ、その根源を探り、そんな20代とともにこれからの日本はどうしていくべきかを提言する。

 本書によると現代の20代は1980年台生まれ。モノは身の回りにあふれ、渇望感はない。91年のバブル崩壊は小学生以下なので、経済を意識したころには景気は低迷していた。「がんばって働けば暮らしは豊かになる」という考えを持てないまま大人になった。パソコンを急に身近なものにしたウインドウズ95と携帯電話以降、生活を大きく変えたモノも登場していない。「経済成長を知らない子供たち」なのだ。

 世代論は論ずる人の立ち位置がどこにあるかが肝心だ。特に互いに影響を与えあう同時代人を論じる場合は要注意。本書のターゲットである20代の若者にしても、すぐ上の先輩目線と親の世代や、祖父母の世代の目線とでは見え方が違うし、彼らに対する意見も大きく変わってくる。一方明治時代の日本人目線ならばそのあたりの差は目くそ鼻くそなのかもしれない。平安時代奈良時代の古い建築物の修理をしていたら、屋根裏に「近頃の若い者は・・・」といった落書きがあったそうだ。1000年前から「近頃の若い者」は非難されてきたのだ。そんなこんなで世代論に対しては慎重にならねばと思っている。読んだり聞いたりして、的外れ感を感じる場合、その論者が自分と異なる世代であることが多いのも事実だ。さて、この本の著者の山岡拓氏は早稲田の政経を卒業後、1986年に日経新聞に入社とある。どうやら自分より2-3年先輩、同じ世代に属する人のようだ。実は本書の目線には非情に共感できたのだが、その理由はこんな所にあるのかもしれない。気になるところ、目につく所が同じで、気にならないところ、見逃す所も共通なのだろう。

 本書の終章では、こんな20代が社会の中心となっていくこれからの日本がどうすべきなのか、著者なりの提言がなされている。20代を糾弾するのでも叱責するのでもない。激励のエールを送るのでもなく、あくまで提言だ。詳しくは書かぬが、彼らにも、彼らをそのようにした上の世代にもある程度の覚悟が必要なのだ。実はこのあたりのスタンスにも好感がもてた。もし著者が団塊の世代の人ならば、きっとこんなじゃすまないのだろうなぁ。世代論は書き手と読み手の間にも成立つのが面白いところだ。

欲しがらない若者たち 日経プレミアシリーズ
作者: 山岡拓
出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
発売日: 2009/12/09
メディア: 新書