『自転車泥棒』

 第二次大戦後間もない1948年のイタリア映画。主人公のアントニオは妻と二人の子供がいるが仕事がない。職安で2年ぶりに得た仕事はポスター貼り。条件は自前の自転車があること。しかし貧しいアントニオは自分の自転車を質入していた。妻のマリアが結婚の時に持ってきたシーツを売ってなんとか自転車を買い戻す。翌日アントニオは息子のブルーノと二人で意気揚々と出勤していくのだが、何と仕事中にその自転車を盗まれてしまう。警察に届けるが「自分で探せ」といわれる始末。アントニオはブルーノと二人でローマの街を自転車を探してさまよう・・・・。

 日本と同様、第二次大戦に破れたイタリア。人々の暮らしは貧しく、他人のものを奪わなければ生きていけない人も多かったのだろう。盗る方も盗られる方も命がけ、そんな底辺に生きる人々の人生を切り取り、スクリーンに結晶させたような作品。人々は優しく、人生は哀しい。1940〜50年代のイタリアに興ったネオ・レアリズモ(新写実主義)というのはこういうことなのだろう。

 その後半世紀、人々は豊かになり、映画も大きく変貌した。映画を作る人達の熱意は昔も今も変わらないのだろし、技術とテクノロジーの進歩ですばらしいエンターテインメントになった。CGを始め、50年前にはとてもできなかった表現が今では自由自在だ。一方の観る側は、数あまたある娯楽の一つとして割り切り、劇場、TV、DVDとTPOにあわせて映画を消費するようになった。「ボーリングに行ったら混んでたから映画にした」といった具合だ。映画もビジネスなので、他のメディアや娯楽に負けぬよう、コマーシャルベースに乗ることが必須になった。TVの予告編や告知番組を見て「お、面白そうじゃん」とワクワクするのは確かに楽しい。その一方で作品自体が騒々しく、軽々しく、薄っぺらになってしまっているような気がする。

 たまにはこういう映画を観て、しみじみ想うのも悪くはなかろう。アントニオの手を握るブルーノの小さな手、アントニオを見上げるブルーノの瞳が心に残る。

自転車泥棒 [DVD] FRT-160

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