『「十五少年漂流記」への旅』


『「十五少年漂流記」への旅』椎名誠
 文学であれ音楽であれ、作者と鑑賞者との間には必ず大きな溝がある。全く同じ価値観や趣味嗜好、考え方を持つ人間が決していない以上、これは当然のことだ。この溝を少しでも埋めようと、人類は昔から涙ぐましい努力をしてきた。作り手側からの努力が「普遍化」であるのなら、受け手側からの努力は作者との「同一化」と言える。作品の背景を知りたい、作成の経緯を知りたい、そう願うのは作者との同一化への願いなのだ。

 この本で繰り返し書かれているのだが、『十五少年漂流記』というのは椎名誠にとってとびきり特別な本なのだ。彼の旅人としての人生の原点がスウェン・ヘディンの『さまよえる湖』とこの『十五少年漂流記』だという。彼がもし少年時代にこの本と出合わなかったら、数々の愉快な旅行記を読むことができなかったのかもしれない。そんな『十五少年漂流記』の舞台「チェアマン島」のモデルが通説とは違う別の島なのだという新説を聞いたら、椎名誠としては居ても立ってもいられなかったのではなかろうか。

 『十五少年漂流記』はジュール・ヴェルヌが想像で書き上げたフィクションだ。漂流の末流れ着いた十五人の少年たちによって「チェアマン島」と名づけられたこの島はチリ南部に連なる島々の一つ、南緯51度に位置する「ハノーバー島」であると『十五少年漂流記』の本文中に書いてある。このハノーバー島は実在する島だ。一方本書で取り上げられている新設によると、ヴェルヌが小説のモデルにしたのはニュージーランドの東にうかぶ「チャタム島」だという。

 フィクションである以上、そこに登場する島は全くの架空の島でも構わない。実際ヴェルヌは「ハノーバー島」にも「チャタム島」にも行ってはいない。しかし、綿密に、実に科学的に小説のディテールを構築したヴェルヌのことだから、きっとしっかりしたモデルがあったのではないか、人はそう考えヴェルヌに迫ろうとする。椎名誠はこの二つの島を実際に訪れ、それぞれに感想を抱き、それを本書に記している。しかしどちらかの島のどこかに決定的な「証拠」などはなく、あるはずもない。あるとしたら「ヴェルヌに同一化できた」という手ごたえなのだろう。椎名誠の中にある十五人の少年達への憧憬、ヴェルヌへの敬意、そしてチェアマン島への憧れが一冊の本になってる。

『十五少年漂流記』への旅 (新潮選書)
作者: 椎名誠
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 2008/05
メディア: 単行本