『イーグル・アイ』

 映画『イーグル・アイ』のDVDを見た。Google mapで自分の家を発見して喜んだ次の瞬間に少し気味悪くなったのを思い出した。

 Google mapの衛星写真でなくとも、街角にある防犯カメラには日々数え切れない程自分の姿をさらしているだろうし、クレジットカードでの買物記録、携帯電話の通信記録、宅配便の配達記録や銀行口座への出し入れ記録など、自分についての個人情報はデータとしてあちこちに散在している。税金の支払いや電気やガスの料金記録、ビデオやDVDのレンタル記録、ショップの会員登録やポイント獲得履歴などなど、自分についての情報は他にも沢山あるだろう。幸いなのは、これらの情報がすべて独立していて、自分のある一面しか見せていないということ。すなわち、あっちやこっちで少ーしずつ自分に関する情報を小出しにしているだけってこと。小出しだから、だれも自分の全てを知ることはできないという安心感がある。

 しかしもしも、これら散在した情報が一箇所に集約されて、誰かに解釈されたとしたら・・・とても気味が悪い。銀行口座から収入や支出が明らかになり、購入した服のデータから体型の変化もバレバレ。本やCD、DVDの購入・レンタル履歴から趣味や志向が分かり、これら総合すれば考え方や価値観も類推できる。殆ど完璧なプロファイリングができてしまおう。本人さえ忘れた過去の事も含め、本当の意味で丸裸だ。

 さらに、多くの人についてのこうしたデータを長期間集めていったらどうなるだろう?膨大な人生データベースだ。この人は成功する、Bigになる、人気者になる、離婚する。会社員としてはダメダメだが、実は70%の確立で陶芸家として成功する。早熟だ、大器晩成だ、40代がピークだ、糖尿病になる…。すごい精度の占いが可能になるのではなかろうか。そして、「90%の可能性でテロリストになる」と判断された子供はどうなるのだろう。

 この映画はそんな恐怖に気づかせてくれた。銀行口座から勝手にお金を盗られたりするのもいやだけれど、こっちの方がもっといやだ。