大阪市中央公会堂


 大阪市中央区堂島川土佐堀川に挟まれた中之島大阪市中央公会堂はある。地下鉄御堂筋線淀屋橋駅で降りて北へ、淀屋橋を渡るとそこは中之島だ。すぐの道を右に折れ、大阪市役所を横目に見ながら東へしばらく歩くと赤レンガの建物が見えてくる。大正7年11月にオープンした大阪市中央公会堂。青銅のドーム状の屋根に赤レンガの外壁。平成14年に国の重要文化財に指定されているこの建物は、ネオ・ルネッサンス様式というそうだ。

 公会堂に行ったといっても、コンサートや講演会を聞きに行ったわけではなく、建物を見に行ったのだ。建築には全く詳しくないが、どっしりと重厚な外観からは歴史の風格が感じられる。内部の見学は無料らしいので、扉を開け中へ入る。平成11年から14年にかけて保存・再生工事がなされたそうだが、大正時代の雰囲気は伝わってくる。入り口を入って正面にある大集会室ではこれから何かのイベントが行われるようで、スタッフが準備に忙しそうだ。奇跡の人ヘレン・ケラーや「地球は青かった」のガガーリンの講演が行われたというこのホール、現在でもしっかり現役なのだ。階段で地下一階に降り、階段脇にある岩本記念室に入る。この建物の産みの親、岩本栄之助を偲ぶ部屋だ。

 岩本栄之助は明治10年に大阪南船場に生まれた。明治10年生まれということは野口英世の1年後輩、与謝野晶子の1年先輩にあたる。家業の株式仲買業を継ぎ、大阪の株式界で活躍。「北浜の風雲児」と呼ばれたそうだ。明治42年渋沢栄一を団長とする渡米実業団に参加して訪れたアメリカで、成功者達が公共事業や慈善事業に熱心であることに共感し、渡米中に亡くなった父の遺産50万円に私財を足した100万円を大阪市に寄付した。現在なら数十億円に相当する彼の寄付によって作られたのがこの大阪市中央公会堂なのだ。

 名を上げ、財を成し、皆のために使う。やろうと思ってできることではないが、マイホームと等身大の幸せをを夢にコツコツ真面目に・・・の生き方とは根本的に異なる生き方なのだと思う。「立身出世」「故郷に錦」「偉人伝」・・・昨今では全く流行らない言葉だが、昔の人の夢が大きかったことを表しているようだ。総中流の日本人が忘れてしまった感覚、生き方を表しているようにも思えてくる。

 岩本栄之助は第一次大戦勃発後の相場高騰の影響で、巨額の損金を出してしまう。仲間達からは市に寄付した内のいくらかでも返してもらえと進められたが、「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」とピストル自殺の道を選ぶ。享年39。この公会堂が完成したのはその2年後だ。

 公会堂地下一階にある岩本記念室。中に入ると一番奥に据えられた岩本栄之助の銅像が目に入る。遺品のいくつかが展示してあるのだが、広さは六畳ほど。予想に反しこじんまりとしていて驚いたが、何のことはない、この部屋を含む公会堂の全てが彼の遺品なのだと納得した。