大宰府探訪


 福岡県の大宰府天満宮に行ってきた。学問の神様、菅原道真にあやかろうという魂胆だ。西鉄大宰府駅から続く参道は適度な賑わい、日差しがまぶしい。鳥居をくぐり境内に入ると、暑さの中にもピンと空気が張りつめたような気がする。太鼓橋を渡り手水舎で手を洗い本殿へ向う。若くから文武両道に秀で、右大臣の地位まで上り詰めた藤原道真が、謀反を企てているとの讒言で都を追われ、この地大宰府へ封じられたのが901年。その墓所に建てられたのがこの天満宮。愚息の学業成就を祈願する。

 天満宮に隣接する九州国立博物館を見学。平成17年開館の真新しい博物館、展示された品々はこの地大宰府が九州を束ねる西の都であり、同時に大陸との窓口として、外交・国防の最前線であったことを物語っていた。1時間程でぐるりと一通り。意外とくたびれている自分に気づく。おなかも減っている。参道の食堂でざるそばとビール。店を出るとき、ついでに大宰府天満宮名物の梅ヶ枝餅を一つ買い食いする。焼きたてこんがり、お餅の歯ごたえが美味しい。

 西鉄五条駅まで移動し、大宰府の歴史を訪ねる。斉明天皇を祭る観世音寺。ひっそりとした佇まいの中、ツクツクボウシの声が響いていた。大宰府政庁跡、芝の生えた広い空間に礎石が整然と並ぶ。かつて九州一帯を治めた役所の跡だ。親子連れがボール遊びをしていた。白村江の戦の後、唐・新羅からの国土防衛のため築かれた水城(みずき)跡。高さ10m、長さ1.2㎞に渡る人工の土塁だ。当時は深さ4mの堀もあったそうだが、今では木立に覆われた細長い丘のように見える。はるか遠くまで続く水城、ブルドーザーもパワーショベルも無かった時代、人の手でこれを築いたのだと思うと気が遠くなる。昔はこの水城に国の存亡をかけたのだろうから、人々も必死だったのだろう。

 四方を海に囲まれた日本は外敵に怯えることは少なかったが、大陸に面するここ九州の地は常に“外”を意識せざるを得なかったのだと実感した。晩夏の一日、悠久の歴史に思いを馳せた。