『フルメタル・ジャケット』


 1987年、スタンリー・キューブリック監督が世に放った作品。タイトルの「フルメタル・ジャケット」とは「完全被甲弾」。全体がメタルで覆われたため貫通性が高い弾丸のことだ。ベトナム戦争を描いたこの映画は3部構成。第一部は主人公のジョーカーが海兵隊の新兵訓練基地で鬼軍曹の下でたたき上げられる8週間を描く。「蛆虫以下」と罵倒され鉄拳制裁を加えられる。それまでの人生で築いたプライドは根底までズタズタにされ、青年は一兵器となる。訓練期間を終えたジョーカーは米軍機関紙の記者に配属される。記者ジョーカーの立場から見たベトナム戦争を描くのが第二部だ。この時点でのジョーカーは敵を殺すのではなく、報道するのが役目だ。戦場に身を置いてはいるが、兵士というよりジャーナリストなのだ。続く第三部、立場は機関紙の記者のままだが、ジョーカーは一兵卒としてベトナムと向き合うことになる。ジャーナリストから兵士になる。友が死に敵を殺す。一部、二部、三部・・・この映画を観る者はジョーカーの立ち位置の変化に伴って「戦争」という現実に一歩一歩近づいていく。


 戦争映画にもいろいろあるが、何らかのミッションを下された主人公達が苦労の末それを成し遂げる、というのがよくあるパターンだ。ミッションとは敵基地の爆破であったり、敵艦隊の撃沈だったり、人質の救出だったりする。「そんな無茶な」と思えるミッションを仲間とともに命を懸けて完遂し、感動のラストとなる。観客はスクリーンの中の兵士たちの勝利の「おすそ分け」にあずかって感動するのだ。しかし、この映画にはそのような感動は用意されていない。観客は平和な町で映画を観ているのではなく、戦場に連れてこられる。爆音と血のにおい、転がる死体。戦争が狂気であるのなら、狂気の疑似体験をさせられる。平和な町にとどまったまま、お高く反戦を唱えることは許されない。戦争を「描く」というのはこういうことかと思った。

フルメタル・ジャケット [DVD]

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