『華麗なる激情』

 休日の午後、DVDを見た。チャールトン・ヘストンルネッサンスの巨匠ミケランジェロを演じた『華麗なる激情(1965、米)』
時は15世紀、ローマ教皇ユリウス2世は、いやがるミケランジェロに無理やり命じて、システィーナ礼拝堂の天井画を描かせる。最初乗り気でなかったミケランジェロだが、やはり芸術家、納得がいくまでとことん仕事をする。教皇の催促もなんのそので、予定は遅れ教皇のイライラはつのるばかり・・・。
原題はThe agony and the ecstasy、直訳すれば「苦悩と恍惚」とでもなろうか。死ぬ程の苦悩と引き換えに芸術家が求めるのは富でも名声でもない。寝食も忘れ、我が身をも省みず創造することに没頭する瞬間の恍惚感、それこそエクスタシーそのもの。そのためならどんな苦悩も厭わないのが芸術家だ。当時40代前半だったであろう、チャールトン・ヘストンが、激高型の天才芸術家を好演し、最後は天井画が完成しHappy endとなる。

 さて、こんな古い映画を見ようと思ったきっかけは塩野七生の小説。塩野七生といえばイタリア。この所古代ローマにフォーカスしてきたが、元々はルネッサンス時代が彼女のフィールド。半年ほど前になるが『黄金のローマ 法王庁殺人事件』という作品を読んだ。その中にシスティーナ礼拝堂の天井画を製作中のミケランジェロが登場する。主人公は作業中の彼を訪問し、製作中の天井画に驚嘆し言葉を失う。ミケランジェロは全くの脇役なのだけれど、印象に残る一場面だった。塩野七生はずーっと気にかかっていた作家なのだが、『ローマ人の物語』全15巻が圧倒的すぎて、どうも手が出なかった。1年半ほど前になろうか、人に進められたのをきっかけに読み始めた。入念な調査は言うまでもなく、精緻な文章で読む人を瞬時にタイムスリップさせる。そして、戦場や殺人の描写であっても、なぜか凛とした気高さが感じられ、ドロドロ血なまぐさくないのは女性ならではだろう。

 話を『華麗なる激情』に戻そう。映画に関する薀蓄が無いので多くは語れぬが、さすが40年以上前の作品だ。SFXなどの技術は言うに及ばずだが、現代映画の刺激的な表現と比べると色々な点で平坦で地味な印象を受けてしまう。役者の表現も大げさでなく、ちょっとした所作や表情を大切にしているのだろう。映像技術という意味では、この作品が作られてから今日までの進歩はものすごい。だいたい、40年後にこの映画が日本の一般家庭の居間でDVDという円盤と薄型TVで鑑賞されることになろうとは、当時の誰が想像しただろうか。

 一方、題材となっている史実は500年も昔の事。40年前の映像技術には「オイオイ」と思うのだけれど、500年前のミケランジェロに共感している(40年前の観客同様)。現代人も40年前の人達も500年前の人間と変わらないって事を、DVDという現代のテクノロジーに仲介されシミジミ感じるという、何とも味わい深い午後だった。