テレビの無い暮らし

 今自分の住んでいる部屋にはテレビが無い。引越しの際、テレビを持ってこなかったのだ。下宿をしていた学生時代以来、二十数年ぶりにテレビの無い暮らしが帰ってきた。

 「見るとは無しにいつもテレビをつけている」「部屋にいる時は時計代わりにテレビをつけている」そういう話は結構よく耳にする。「テレビがついていないと落ち着かない」そんな人もいる。実は妻がこのタイプで、帰宅すると家族の声より先にテレビの声が聞こえてきた。チョット寂しいものがあるが、そういうご家庭は日本中に結構多いのではないだろうか。そんな「テレビつけっ放し生活」を別に否定はしないけれど、どうも趣味じゃない。

 テレビは「見て見て、面白いよ!」と見る者の目を引き付けようとする。「チャンネルはそのまま!」「スイッチ切らないで!」と訴える。そうすることがテレビの宿命なのだから当然だ。つけっ放しの画面から思わぬ収穫もあるのだろうが、次から次へと降り注ぐ情報のシャワーにずーっと身を浸しているのはまるでテレビに翻弄されているようで疲れる。

 学生時代、仲の良かった友人がテレビ局に就職した。話題が豊富で、頭の回転が早く、情が厚い。合わせて行動力もあるとても優秀な男だった。彼のようなハイレベルな人間たちが心血を注いで作り上げるテレビ番組が面白くないはずはない。実際、好きな番組、興味のある番組もいくつかある。しかしそれを見るときは、事前に雑用を済ませトイレにも行っておき、空調や部屋の明るさを調節してベストのポジションを確保し、飲み物やおつまみなども用意し、居住まいを正した上で「さぁ来い!」とスイッチを入れる。そしてお目当ての番組を楽しんだ後は、そのままだらだらと見続けたりせずに、潔くスイッチを切って余韻を味わう。旧友には申し訳ないがそんな見方が性に合っている。映画やコンサートを楽しむのに近いような気がする。

 テレビの無い暮らしは静かでよい。秋の夜長を静かに過ごす悦楽を一人堪能している。